Communication
光受寺通信を文章でよむ
光受寺通信を「文章で読みたい」とリクエストがございましたので、
「住職のはじめの一節(序文)を」
そのまま文章でもお楽しみいただけるように追加ページを作成いたしました。
光受寺通信を「文章で読みたい」とリクエストがございましたので、
「住職のはじめの一節(序文)を」
そのまま文章でもお楽しみいただけるように追加ページを作成いたしました。
物価の高騰が止まりません。
米の価格上昇率には驚くばかりですが、野菜やガソリンといったものまでの軒並みの値上がりには、悲鳴が上がります。特に年金生活者にとっては節約と我慢の限界が見えて、行く末の不安はつのるばかりです。
しかし、そんな状況であっても景気の良い話もあるものです。先月のバレンタインデーでは一人で何万円ものチョコレートを買う人がテレビに映し出されていました。「自分へのご褒美」にと嗜好品(しこうひん)に多額のお金を使える人がうらやましく思えましたが、決して気分の良い話ではありませんでした。一円でも節約したいと悪戦苦闘して生活している人とのあまりの違いに驚かされてしまったからです。
さて、弥生3月には、「お彼岸」を迎えます。「お彼岸」は一般的にはご先祖の供養をする仏事とされていますが、私たちの浄土真宗では亡き人に供物を捧げ、追善することで自分の幸せを祈願する行事ではありません。
「彼岸」とは阿弥陀仏の「浄土」を指しますが、「浄土」は私たちが還っていく世界であると同時に、迷いの世界(此岸)に生きる私たちのあり方を照らし出し、本当に「その生き方でよいのですか」とはたらきかけてくる世界のことでもあります。お彼岸には浄土へ還って行かれた人を偲ぶとともに、改めて自分の生き方を振り返る大切な時なのです。
光受寺におきましても春季永代経のお勤めがございます。是非このご縁に出会っていただけますことを切に願っております。
「人間は特別じゃない」。これは北海道のある牧場主が、あるテレビ番組で話された言葉です。
彼は現在、癌を患い、抗がん剤治療を受けながらの生活されているということです。大自然と深く関わり合いながら、自分も自然の一部の「いのち」として捉えられ、謙虚に生きておられる姿が、とても美しく思えたのです。そしてその思いは「命の循環」ということばでも受け止められ、迷いのない確かな人生を歩んでいらっしゃることが、よく伝わってきました。
私たちは、ともすると、この地球上のすべてを支配して生きているかのような錯覚を起こして生きているのではないか。私は常々そう感じさせられ生きてきたことから、この方の人生のあり方に深く感動させられてしまったのです。
また石牟礼道子さんは「地に這う虫と同じような視座で見つめなければ、この深みは見えない」。といわれました。
確かに「人間は特別な存在」という思いで自然と関わっているとすれば、このお二人の思いは決してうかがい知ることのできない世界なのではないでしょうか」。
私の「いのち」は大げさに言えば宇宙のすべてと関わり合いながら存在しているのです。何か一つ欠けても私は今ここに存在していないのかもしれません。見えないけれども見える。聞こえないけれども聞こえる、そんな世界を教え知らせてくれるのが自然かもしれません。
昨年は年明け早々に発生した能登半島大地震により、石川県を中心に壊滅的な被害が発生し、多くの人命も奪われてしまいました。また夏の異常な暑さと頻繁に起こった豪雨等によって全国的に被害が多発した年となってしまいました。
この異常とも思われる気候現象については、日本に限らず地球規模で発生していることはニュースでよく耳にもし周知のとおりですが、その原因は主に地球温暖化による気候変動よるもののようです。
便利さと快適さを追い求める生活は地球を、自然を犠牲にしてきたことを今更ながらに思い知らされた年でもありました。
さて今年一年、皆様はどんな思いで一年を過ごされようとしているのでしょうか。
私はこの一年、確実に衰え老いてゆくこの身を抱え「今日とも知らず、明日とも知らず」に怯えながら、ただ生きていくことになるかもしれません。しかし一方では、そんな人生には絶対したくないとも思っています。
いつ死んでもよい、いつまで生きてもよい、ただ今いただいている人生のご縁をかけがえのないものとして受け止め、日々を過ごしていきたいと思っています。
ここ数年に亘って次々と梅の木が枯れ始めた。昨年はあんなにも元気で見事な花を咲かせてくれたのに不思議なことだと思っていた。
その原因を素人考えで考えて、あれやこれやと考えてはみたが、やはりこれだという確信は得られなかった。
そして今年、ついにその兆候は飛龍梅にもみられるようになってしまった。木全体が一気に枯れてしまったのではないが、木の上部半分に
新芽がつかず、枝が枯れたような状態になっている。この木に関しては老木であることから、これが自然なことなのだろうと受け止めてはいたが、10月に入った頃に木の根あたりにキノコが生えているのを発見した。今までにも枯れた何本かの木にキノコが生えていたことを思い出し、初めてその深刻さを感じたようなことだった。
かつて青梅市の梅が「ウメ輪紋ウイルス」に侵されて全滅したことを思い出した。折しも庭師さんが境内の剪定に来ていらっしゃったので、お尋ねしたら「猿の腰かけ」ではないかといわれ、すでにこの木は菌に侵されているので、回復が難しいのではないかと言われた。できることは殺菌剤を土に撒くより仕方がないと。
「ああ、ついにこの木も枯れてしまうのか」
十年ほど前にも老木の「満天星つつじ」にテッポウ虫が入って枯れてしまいずいぶん落ち込んでしまったことがあるが、今回はそれ以上に辛い思いになってしまっている。
光受寺のシンブル的存在であったこの梅一本で、多くの人との出会いがあり、それがご縁となって人生が心豊かになったことを思うと、感謝の思いが湧きおこってくる。できるだけの手当てをし、少しでも回復してくれたらと思うばかりだ。