Communication

   

光受寺通信を文章でよむ

 

光受寺通信を「文章で読みたい」とリクエストがございましたので、
「住職のはじめの一節(序文)を」
そのまま文章でもお楽しみいただけるように追加ページを作成いたしました。

   
  • 2022年11月04日執筆
  • デジタル化は幸せ化?

    最近の社会問題は多岐にわたってあるが、高齢の私にとっては生きづらさを感じる日常が増え
    てきたように思える。
    身近なことでいえば、スマホを使いこなさなければ、生きられない世の中になりつつあることで
    ある。何の不自由も感じていない生活が、無理やり変えさせられていくことに大きなストレスを感じ
    ている。デジタル化か何かは分からないが、年寄りには大迷惑なことである。
    確かに携帯電話の便利さは、有効であるとは思ってはいるが、電話を「かける、うける」の機能以
    上のことは望んではいない。かゆいところに手を届かせようと開発し続ける企業側の思いに行政
    が、あるいは社会が迎合していく現代には全くお手上げである。
    さしあたり、「マイナンバーカード」を作ることを周りから勧められているが、このことが行政にと
    っても、私たちにとっても、本当に幸せな人生を送る手段となっていくのであろうか。「このカード
    がないと困ることが多くなるよ」とか脅されてはいるが、こちらはそれ以上に不安なことが多い。
    生きて行く上においてどうしても必要なものなら「お金あげるから」と、 税金を使う必要もないの
    ではないか、そう思うのである。現金でしか物を買わない私にとっては、ポイントも何もカードで物
    を買わないのだから、一連のえせ近代化とも思える今回の施策は大いに迷惑なことである。つな
    がりや絆の大切さを訴えながら、顔の見えない、会話のない、合理化と利潤だけを追い求める社会
    では、人間が壊れていくようにしか、私には思えなのである。


     

  • 2022年10月26日執筆
  • 「追善供養」という言葉がありますが、その意味について、『仏教大辞典』には次のように説明さ
    れています。「人の死後、亡き者の苦を除き冥福をいのるために善根福徳を修めて、その功徳をた
    むけるのをいう」とあります。
    しかし、浄土真宗においては「親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念仏もうしたること、い
    まだそうらわず」と、聖人自らが語っておられますように、浄土真宗の法事においては、亡くなった
    人を救うために行われるものではないということになります。むしろ法事をお勤めする意味は、私
    たち自身が救われていくという内容を持っているということなのです。法事をご縁として、私たち
    自身を言い当ててくださっている真実の言葉に出会うこと、つまり「法」に出会うことなのです。亡
    くなっていかれた人から、届けられている本当に大切な願いを受け止めることになるのです。
    私たちは場を通し、真実を、私にまで届けてくださった方々への感謝の心が生まれ出てくるので
    しょう。そこに「お念仏」が生まれ出るのです。その時、初めて心から手が合され、亡き人を仏様とし
    ていただけるのではないでしょうか。
    亡き人は、ただひたすらにこのことを願い、私たちに、はたらきかけていらっしゃるのです。

  • 2022年09月11日執筆
  • 今年は満75歳を迎え、何とはなしに人生の節目を感じています。そんな折、御文の一文にどっきりとさせられました。「そもそも当年の夏このごろは、なにとやらん、ことのほか睡眠におかされてねぶたく候は、いかんと、案じ候えば不審もなく往生の死期もちかづくかとおぼえ候う。まことにもってあじきなく、名残おしくこそ候え」(御文第一帖の6通)と。

    この御文は文明5年4月25日(旧暦では夏)、蓮如上人58~9歳頃に書かれたものです。現在でいえば、まだ還暦を間近に控えたころだと言えますが、すでに死期を実感されていたということになります。この当時の平均年齢はお文(第4帖の2通)に依れば、56歳とありますから、そんな思いになられたのも当然のことかもしれません。現在では人生百年時代と言われ、まだまだと、生きられると錯覚に陥る言葉ではありますが、蓮如上人の御文は続くのです。

    「明日もしらぬいのちてこそ候に、なにごとをもうすもいのちおわりそうらわば、いたずらごとにてあるべく候。いのちのうちに、不審もとくとくはれられそうらわで、さだめて後悔のみにてそうらわんずるぞ御こころえあるべく候う」と。要約すれば、明日が分からない人生を生きている身であるのだから、生きているうちに阿弥陀如来の明るい目に一刻も早くめぐりあい、自分が生きた確かな意味を明らかにしてほしいのです、と。

    この御文は見玉尼(蓮如次女)が思い病にかかり、その世話をしながら世間話に明け暮れている人たちに宛てられたものでした。500年以上たった今、私にまで届けられた言葉でもありました。

  • 2022年08月06日執筆
  • 便利さの追求の危うさ

    KDDI のシステムトラブルによって、多くのユーザーが大混乱を起こし、様々な被害を被った。私も
    携帯電話として au を利用していることから、何か緊急な連絡が入りはしないかと多少不安はあっ
    たが特別に困ることはなかった。そもそも普段から「かける」「うける」のみの利用者であることか
    ら、一週間一度も使わない日もあって、基本料金を払うのがもったいないほどだと日頃から感じて
    いるほどだ。
    しかし、スマホに頼り切っている現代人にとっては、「おおごと」であったとことは容易に想像が
    できる。生活に不便を感じる程度ならまだしも、命に関わるようなことで連絡が取れないとなると、
    これは一大事である。しばらく前までは公衆電話も点在し、大いに助かったものだが、今ではほと
    んど見当たらない時代となってしまった。また今回の場合は、たとえ公衆電話が使えたとしても相
    手の携帯、スマホがトラブルの対象機種であれば、全く意味を為さないということになってしまっ
    たのである。
    便利さの裏には便利さ以上の不自由さが潜んでいることを思い知らされた今回の出来事でもあった。


     

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