Communication
光受寺通信を文章でよむ
光受寺通信を「文章で読みたい」とリクエストがございましたので、
「住職のはじめの一節(序文)を」
そのまま文章でもお楽しみいただけるように追加ページを作成いたしました。
光受寺通信を「文章で読みたい」とリクエストがございましたので、
「住職のはじめの一節(序文)を」
そのまま文章でもお楽しみいただけるように追加ページを作成いたしました。
ここ数年に亘って次々と梅の木が枯れ始めた。昨年はあんなにも元気で見事な花を咲かせてくれたのに不思議なことだと思っていた。
その原因を素人考えで考えて、あれやこれやと考えてはみたが、やはりこれだという確信は得られなかった。
そして今年、ついにその兆候は飛龍梅にもみられるようになってしまった。木全体が一気に枯れてしまったのではないが、木の上部半分に
新芽がつかず、枝が枯れたような状態になっている。この木に関しては老木であることから、これが自然なことなのだろうと受け止めてはいたが、10月に入った頃に木の根あたりにキノコが生えているのを発見した。今までにも枯れた何本かの木にキノコが生えていたことを思い出し、初めてその深刻さを感じたようなことだった。
かつて青梅市の梅が「ウメ輪紋ウイルス」に侵されて全滅したことを思い出した。折しも庭師さんが境内の剪定に来ていらっしゃったので、お尋ねしたら「猿の腰かけ」ではないかといわれ、すでにこの木は菌に侵されているので、回復が難しいのではないかと言われた。できることは殺菌剤を土に撒くより仕方がないと。
「ああ、ついにこの木も枯れてしまうのか」
十年ほど前にも老木の「満天星つつじ」にテッポウ虫が入って枯れてしまいずいぶん落ち込んでしまったことがあるが、今回はそれ以上に辛い思いになってしまっている。
光受寺のシンブル的存在であったこの梅一本で、多くの人との出会いがあり、それがご縁となって人生が心豊かになったことを思うと、感謝の思いが湧きおこってくる。できるだけの手当てをし、少しでも回復してくれたらと思うばかりだ。
気が付けば今年も残りわずかになってしまいました。新年早々には能登半島に震度7の巨大地震が発生し、想像を絶する被害が発生いたしました。
多くの命が失われ、インフラは壊滅的な状況となり、生活基盤が根こそぎ崩壊してしまいました。さらには、復興半ばの9月には観測史上最大の雨量が観測され、またしても多くの人的・自然被害が発生しました。いかに我慢強いと言われているこの地方の人たちの心持もすっかり打ち砕かれてしまったことでしょう。
そんな状況でありながらも、地域の住民からは「よかったね~。よかったね~」という声がボランティア活動をされていた方に聞こえてきたという。何がよかったのか不審に思い確かめてみると、「もし、ここに原発があったなら、今頃どうなっていたことかと思うからですよ」。と。
歴史を紐解けば、1975年に石川県珠洲市に原発の建設計画が持ち上がり、28年もの間、賛否が二分されていたことを思い出します。そして、2003年12月には、その計画は凍結されたのです。もしも原発が稼働されていたらと思うと、ゾッとします。避難道路は寸断され、孤立した住民はどうなってしまっていたのでしょう。非難することもできず助けに行くことさえできないのですから。
「我々の想定外は、仏さんの想定内」ということが言われます。再稼働の条件が整ったか否かによって判断されていくことの恐ろしさを感じてしまいます。人智の空しさを思い知らされる日が来なければと、願うばかりです。
「ええことも わるいことも 先祖あっての 自分やな~」。この言葉は、ある自営業を営まれているご主人が、今年のお正月にお酒を飲みながら、ふと漏らされた言葉だそうです。奥様は不意に出たその言葉に共感され、思わず手帳に書き留められていたのだそうです。
そしてその言葉は、ある日私のところへも届けられました。しみじみと語られたこの深い心情を表す言葉は、どんなことがご縁となってご主人の口から表出されたのでしょう。
「良いこと、悪いこと」は、すべて凡夫を生きる私の都合で決めつけている言葉であり、内容ですが、それは、時とともに「すがた」は変容もし、全く逆転する事も決してめずらしいことではありません。「ああ、あの時こうすればよかった、ああすればよかった」。などと思うことも日常茶飯事ですが、すべて仏様からの「おはたらき」によって、今の自分に知らされてくるものなのでしょう。
(そがりょうじん)
曽我量深の言葉には「人生の苦しみは、すべて如来からの激励である」。とありますが、どんなにつらい人生であろうとも仏さまは見捨てることなく、私たちを見守り続けて下さっています。
このご主人にもご先祖(浄土)からの願いが、何かのご縁によって届けられたのでしょう。「与えられている今の自分をそのまんま喜んで生きていける人生を歩んでいこう」。そう思われたのではないでしょうか。そしてまた、奥様の心にもご主人の言葉を通して同じ願いが届いたのかもしれません。
平和の祭典オリンピック。今年は猛暑の夏でもあったことからエアコンをつけての、テレビでの観戦三昧であった。48種目の競技は、速さ、強さ、技の優劣を競う競技がほとんどであるが、勝敗を決める判定基準が分かりにくくすっきりしない思いが残る競技もあった。そういう意味では私は陸上競技や水泳競技の百分の一、千分の一秒を競う競技に興奮していた。判定基準もはっきりしていて、選手も勝っても負けてもすっきりした思いが残ったのではないだろうか。
さてそれはさておき、今回のパリオリンピックにおける日本人の活躍は素晴らしいものがあった。メダルの数でも世界で6位、金メダルの獲得数でいえば、世界で第3位という見事な結果であった。
国民の期待を背負いながらの競技オリンピック。選手たちは大きなプレッシャーを感じてのことだったろう。映像では見えてこなかった苦悩が試合後の選手の口から語られた時、選手と一緒に涙したことだった。
オリンピックは「参加することに意義がる」と誰かが言ったが、オリンピックには「競い勝つ」を目的とすること以外に、全人類がともに友好を深め「ともに楽しむ」ことを忘れてはならないと思うのである。一位になれたのは、あなたと、あなたと、あなたがいたから。私人じゃ意味のないことと、お互いに敬意を払い感謝の思いを持つことを忘れてはならないと思うのである。そういう意味で見ればあのスケートボードの判定などはあいまいなところも感じられたが、オリンピックの精神に応えるものがあったように思われたのだ。
勝ち誇ってメダルを嚙むのだけはやめてほしいことだった。