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光受寺通信を文章でよむ

 

光受寺通信を「文章で読みたい」とリクエストがございましたので、
「住職のはじめの一節(序文)を」
そのまま文章でもお楽しみいただけるように追加ページを作成いたしました。

   
  • 2019年11月07日執筆
  • 軽減税率わしには分からん。「一物二価」に「ポイント還元」「現金不要時代の到来」に困惑しきり。携帯電話も本当は持ちたくないし、ましてやスマホなど「まっぴらごめん」と言いたい。しかし使わなければ世間に取り残されていく気がして、不安はつのり、迷いは深まるばかり。

    それというのも、今まで便利、便利と飽くなき追求のその先に見えてくるものは、「幸せなんだ」と思い込まされてきたが、ずいぶん裏切られてきたような過去の記憶があるからだ。

    その一例として、かつて給料振込の強い要請に私は最後まで抵抗していた者の一人であったが、手渡しと振込では、たとえ事は同じことであってとしても受け取る実感がまるで違うなと思っていたことがある。確かに事務量も減り、合理的で安全性ではあるかもしれないが、振込通知書一枚だけでは空しい思いが残っていたことを思い出す。

    家に帰って妻に渡すこと、妻がそれを受け取り慰労の言葉を述べること、子供が見ていること、その一コマの情景に今では忘れられた大切なものがあるような気がしてならない。数字だけが飛び交う世の中は、どこかさみしい思いがしてならないのだ。

    いずれにしても昔人間には生きづらい時代が来たものだと、つくづくと思えてくる今日この頃である。

  • 2019年10月02日執筆
  • 「おもてなし」の心は生きているか。

    様々な夢と期待に胸膨らませながら迎えた令和元年。そんな思いとは裏腹に、国内外において様々な問題が一気に噴出してきたようにも思える。一見、平和で豊かに思える日本も不穏な雰囲気が漂い始めている。「京アニ」の悲惨な事件をはじめとして、「あおり運転」「尊属殺人」等、後を絶つことがない。「殺したろか」。が、日常のちょっとしたいざこざに登場してくる日本の現状は、どこか狂っているとしか思えない。

    来年はオリンピック開催国として「おもてなし」の年でもある。おもてなしとは「見返りを求めず、相手を敬い丁寧に扱う」ということのように思っているが、これがチップを求めない日本文化の育んだ日本人の良いところだと思っている。はたしてこの心は今に生きているのであろうか。

    「おもてなし」の心を海外にアピールしたことを良いご縁として、日本人そのものの日常の人と人とのかかわり方にもしっかりと目を向けていけたらと思うことである。オリンピックが成功するか否かの基準も、ある意味この「おもてなし」の心にあるのではないだろうか。

    オリンピックを経済活性化の起爆剤程度に考えているとするならば、日本の文化を汚すことにもなりかねないのではと、危惧されるところである。


     

  • 2019年09月01日執筆
  • 深刻な地球温暖化

    暑い暑いがご挨拶の八月だった。日本全国万遍なくの暑さに避暑地などどこにもないような驚きを覚えた。「何とかせにゃいかん」。皆そう思いながらも、ついつい地球の温暖化に目を背け続けてしまっている私たちである。

    私たちの日常の暮らしはある意味では「自然への挑戦」でもあることから、必然こうなることは分かってはいたが、分かってはいても便利さと快適さについつい心奪われ続けてきたのである。

    地球温暖化については、人間の生存のみならず地球上の生物の生存にかかわる深刻な問題であることから、核の問題も併せて自らが自らの首を絞め続ける歩みだけは決して続けてはならないのだ。もしこのままの状態を続けることになれば2100年の平均気温は、最悪のシナリオの場合には最大4.8℃上昇するとも言われている。もう生命の限界である。

    私たちには地球の未来のために二酸化炭素が地球の環境の中で自然に循環できるようになるレベルをめざし、二酸化炭素の排出の削減に弛まぬ努力を続けていかなければならない時が、今まさに


     

  • 2019年08月05日執筆
  • 西方浄土

    「ああ、今日も一日が過ぎていく」。そんな思いで夕日を眺めることが何度となくあるが、なぜか言い知れぬさみしいが込み上げてくるものだ。それはたぶん残り少ない自分の人生と重ね合せて、少し感傷的になっていたからなのだろう。西方浄土。その美しさを眺めていると確かにその果てには安らかな世界があるように思えてきたりもするものだ。

    「西方浄土」という表現は11世紀以降、浄土教の流布に伴って一般化し、平安朝末から中世には、落日に向かって西方浄土を観想する日想観が流行したのだと伝えられている。阿弥陀さまは、真実を見る眼がない凡夫の私たちのために浄土を「西方浄土」というと方便によってお示しになられたものであろう。いずれにせよ一心に浄土へ生まれたいと願う思いは大切にして生きていきたいものである。それは同時に阿弥陀如来のすべての者を平等に救いたいという願いを信じ、応えていく歩みでもあるのだろう。ただ念仏して。


     

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