Photo Album

写真集

光受寺は、四季折々の花や樹が出迎えてくれます。

特に春のしだれ梅の咲く頃の華やぎは、まるで別世界の空間を呈します。

写真集では、その様子をご覧いただくことができます。

Nijushiko

二十四孝

郭巨業が中国における孝行が特に優れた人
二十四名を賞して、後世の模範とした人物です。

その内の4人の話をもとにして制作された4枚の彫刻が欄間として本堂の南北に2枚ずつに分けて揚げられています。

ー引用ー

「"二十四孝"」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より。

"最終更新 2016年8月11日 (木) 14:48 "UTC http://ja.wikipedia.org/

舜(しゅん)は大変孝行な人でした。父の名前は瞽叟と言い頑固者で、母はひねくれ者、弟は奢った能無しでしたが、舜はひたすら孝行を続けました。舜が田を耕しに行くと、象が現れて田を耕し、鳥が来て田の草を取り、耕すのを助けました。その時の皇帝を堯と言いました。堯は舜の孝行な心に感心し、娘を娶らせ皇帝の座を舜に譲りました。これも孝行の心が起こしたことです。

楊香

楊香(ようこう)には一人の父がいました。ある時父と山に行った際に虎が躍り出て、今にも2人を食べようとしました。楊香は虎が去るように願いましたが、叶わないと知ると、父が食べられないように「天の神よ、どうか私だけを食べて、父は助けて下さいませ」と懸命に願ったところ、それまで猛り狂っていた虎が尻尾を巻いて逃げてしまい、父子共に命が助かりました。

郭巨

郭巨(かくきょ)の家は貧しかったのですが、母と妻を養っていました。妻に子供が産まれ、3歳になりました。郭巨の母は孫を可愛がり、自分の少ない食事を分け与えて大切に育てていました。郭巨が妻に言うには「我が家は貧しく母の食事さえも足りないのに、孫に分けていてはとても無理だ。夫婦であれば子供はまた授かるだろうが、母親は二度と授からない。ここはこの子を埋めて母を養おう」と思ったのです。妻は悲嘆に暮れてしまいましたが、夫の命には従う他なく、3歳の子を連れて埋めに行きました。郭巨が涙を流しながら地面を少し掘ると、黄金の釜が出て、その釜に文字が書いてありました。「孝行な郭巨に天からこれを与える。他人は盗ってはいけない」と。郭巨と妻は黄金の釜を頂き喜び、子供と一緒に家に帰って、さらに母に孝行を尽くしました。

孟宗

孟宗(もうそう)は、幼い時に父を亡くし年老いた母を養っていました。病気になった母は、あれやこれやと食べ物を欲しがりました。ある冬に筍が食べたいと言いました。孟宗は竹林に行きましたが、冬に筍があるはずもないと思い、孟宗は涙ながらに天に祈りながら雪を掘っていました。すると、あっと言う間に雪が融け、土の中から筍が沢山出てきました。孟宗は大変喜び、筍を採って帰り、熱い汁物を作って母に与えると、たちまち病も癒えて天寿を全うしました。これも深い孝行の思いが天に通じたのでしょう。

Twelve Horary Signs

十二支彫刻

本堂軒下に飾り物としてありましたが、大改修の折、その痛みがひどく堂内にいれ保存してあります。

意外に気づかれない方が多いと思いますが、欅の彫り物で、小さいですが、迫力のある作品です。

兎(うさぎ)

丑(うし)

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