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光受寺通信を文章でよむ

 

光受寺通信を「文章で読みたい」とリクエストがございましたので、
「住職のはじめの一節(序文)を」
そのまま文章でもお楽しみいただけるように追加ページを作成いたしました。

   
  • 2024年07月12日執筆
  • かつて主に女性が夢中になっていた韓国ドラマ。内容が良かったのか、俳優が好みだったのかは分かりませんが最近私もドップリとはまってしまっています。

     

    平日のほぼ毎日、午後5時からが私のゴールデンタイム。今は「トンイ」という女性が主人公の歴史ものを見ています。終始繰り返されるドキドキ感がたまらないのです。今までにも「チャングム」や「イサン」という女性が主人公のドラマがありましたが、同じように惹きつけられていました。坊守は「あんたチョットおかしくない」というのですが、大谷選手の活躍と、このドラマを観ることは欠かせないのです。決してそれぞれの主人公が美人だからということではありませんが、展開される人間の強さ、弱さ、醜さ、美しさのあり方に考えさせられ、感動させられているからなのです。

     

    番組の終わりには、次回の話の展開の想像が余韻となってきます。それはちょうど子供のころに夢中になって観ていた月光仮面や国松君や赤胴鈴之助の連続番組の、それのように思えるのです。

     

    思うに韓国番組は、私たち日本人に消え入りそうになっている心の記憶を呼び覚ませてくれるように思われるのです。それはあの俳優たちの迫真の演技があるからだとは思いますが、それだけではないようにも思えるのです。

  • 2024年06月05日執筆
  • 質実ともに豊かな国へ

    近年、老いも若きも、男性も女性も、職業に関わらず理解できない事件を起こすことが多いように思う。

    自分勝手さが、ますます横行し、その結果が、傷害事件や殺人にまで至ってしまうことの恐ろしさにこれからの日本が案じられてくる。

    最近では「カスハラ」という言葉がよく聞かれるが、信じられない言動に身震いすることがしばしばである。

    昔からいじめや、嫌がらせはあったものの、カスハラはどこか異常性を感じてしまう。

    経済発展は確かに生活の便利さと豊かさを与えてくれたものの、豊かさの質の変化が、奇妙に変容しているようにも思える。

    人間関係は希薄化し、心がカラカラと渇き、わずかなことにも苛立ちを覚えてしまっているようだ。

     

    今、私たちは質実ともに豊かな社会や人生はどうあるべきかを真剣に考えなければならない時機だと思う。日本は先進国だと

    勝手に思ってはいるものの経済発展と精神文化の向上のバランスがとれていて初めて先進国だといえるのではないだろうか。

    今に日本にはそれがない。

    「昔は何もなかったが、何かがあった。今は何でもあるが、何かが足りない」そんな掲示板を目にしたことがあったが、

    その、何かが何であるのかよくよく考えてみることが、真に豊かな日本になるための第一歩ではないだろうか。


     

  • 2024年05月10日執筆
  • 老々介護

    老々介護。最近よく耳にする言葉ですが、私たち夫婦にもいよいよ現実的になってきたように思われます。

    現在の状況であれば、どちらかが介護を要する状況になっても何とかできるように思われますが、さらに高年齢となり、それぞれ体力に自信がなくなった時には、相手の症状にもよりますが、自宅での介護は難しくなるのかもしれません。

    私たちの親の時代では、大抵の場合は自宅で介護されて生涯を終えていかれたのですが、現在では核家族世帯が主流となり、必然老々介護となってしまうのです。時代の流れだといえばそれまでですが、何か寂しい思いがしてなりません。

    「ピンコロ」。私たちが望む老後の生き方として、冗談とも本気ともとれる言い方をされる方がありましたが、確かに誰しもがそんな思いになられることは、今の社会情勢からすれば理解できるように思われてきます。しかし、はたして死ぬが死ぬ寸前まで元気で居られて、いざ死が迫ってきたときは、コロッと死ねればこれ以上ない最期だと本当に思われるのでしょうか。

    誰にも迷惑もかけずに「よい最期でした」と、耳にすることもありますが、迷惑をかけて亡くなれば「よくない最期」なのでしょうか。それは誰にとって。私はあえて迷惑をかけようとは思いませんが、迷惑をかけずには生きられないのが人生なのです。「迷惑」は「お互いさま」の意識を持って生きることが大切だと思うのです。「迷惑」かけてすまないね、の思いが通じ合う家族関係や、社会との関係が失われていく事の寂しさを感じているのは私だけでしょうか。


     

  • 2024年04月16日執筆
  • 今を育んだもの

    時々「子供の頃の思い出は」と聞かれることがあるが、不思議なくらいに覚えてはいない。近くには保育園や幼稚園はなくていきなり小学校だったが、かろうじて思い出せるのは3、4年生以降のことだろうか。家は貧しくて塾など通ったこともなく、勉強していた記憶もほとんどない。ただ毎日、毎日遊んでばかりいたような気がする。成績もほとんど気にしたこともなくのほほんとした子供時代だった。

    ただそれでも自慢できたことはあった。足が速かったことと相撲が強かったこと、そして魚釣りが得意で、よく働いたこと。ポンプでくみ上げた何杯ものバケツの水を五右衛門風呂まで運んでの風呂焚き、時には薪でご飯を炊き、手洗いで洗濯をしたり、掃除をしたり、小遣いがなかったからウサギの飼育や伝書バトを飼って小遣いを稼いだりもしていた。

    そんな私の子供時代でしたが、いまでも奇妙に思ことは、父親から一度だけ生意気な口きいてビンタを張られたことがあったが、そのこと以外は叱られたという記憶がまったくない。末っ子で甘やされていたのかもしれないが、いまだに私の不思議となっている。

    はたしてそれが幸せだったのかどうか分からないが、今の自分は確かにその両親をはじめ兄弟、親族、そして数知れぬ多くの人たち、事、物の関わりのご縁の中で生かされてきたことに間違いはない。またこのご縁のひとつひとつの、何ひとつでも欠けていても、今の自分はここにいることはない。

    そう思う時、私はすべてのご縁がただ事ではなかったと深く思わされてくるのです。  南無阿弥陀仏。


     

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