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光受寺通信を文章でよむ

 

光受寺通信を「文章で読みたい」とリクエストがございましたので、
「住職のはじめの一節(序文)を」
そのまま文章でもお楽しみいただけるように追加ページを作成いたしました。

   
  • 2024年05月10日執筆
  • 老々介護。最近よく耳にする言葉ですが、私たち夫婦にもいよいよ現実的になってきたように思われます。

    現在の状況であれば、どちらかが介護を要する状況になっても何とかできるように思われますが、さらに高年齢となり、それぞれ体力に自信がなくなった時には、相手の症状にもよりますが、自宅での介護は難しくなるのかもしれません。

    私たちの親の時代では、大抵の場合は自宅で介護されて生涯を終えていかれたのですが、現在では核家族世帯が主流となり、必然老々介護となってしまうのです。時代の流れだといえばそれまでですが、何か寂しい思いがしてなりません。

    「ピンコロ」。私たちが望む老後の生き方として、冗談とも本気ともとれる言い方をされる方がありましたが、確かに誰しもがそんな思いになられることは、今の社会情勢からすれば理解できるように思われてきます。しかし、はたして死ぬが死ぬ寸前まで元気で居られて、いざ死が迫ってきたときは、コロッと死ねればこれ以上ない最期だと本当に思われるのでしょうか。

    誰にも迷惑もかけずに「よい最期でした」と、耳にすることもありますが、迷惑をかけて亡くなれば「よくない最期」なのでしょうか。それは誰にとって。私はあえて迷惑をかけようとは思いませんが、迷惑をかけずには生きられないのが人生なのです。「迷惑」は「お互いさま」の意識を持って生きることが大切だと思うのです。「迷惑」かけてすまないね、の思いが通じ合う家族関係や、社会との関係が失われていく事の寂しさを感じているのは私だけでしょうか。

  • 2024年04月16日執筆
  • 今を育んだもの

    時々「子供の頃の思い出は」と聞かれることがあるが、不思議なくらいに覚えてはいない。近くには保育園や幼稚園はなくていきなり小学校だったが、かろうじて思い出せるのは3、4年生以降のことだろうか。家は貧しくて塾など通ったこともなく、勉強していた記憶もほとんどない。ただ毎日、毎日遊んでばかりいたような気がする。成績もほとんど気にしたこともなくのほほんとした子供時代だった。

    ただそれでも自慢できたことはあった。足が速かったことと相撲が強かったこと、そして魚釣りが得意で、よく働いたこと。ポンプでくみ上げた何杯ものバケツの水を五右衛門風呂まで運んでの風呂焚き、時には薪でご飯を炊き、手洗いで洗濯をしたり、掃除をしたり、小遣いがなかったからウサギの飼育や伝書バトを飼って小遣いを稼いだりもしていた。

    そんな私の子供時代でしたが、いまでも奇妙に思ことは、父親から一度だけ生意気な口きいてビンタを張られたことがあったが、そのこと以外は叱られたという記憶がまったくない。末っ子で甘やされていたのかもしれないが、いまだに私の不思議となっている。

    はたしてそれが幸せだったのかどうか分からないが、今の自分は確かにその両親をはじめ兄弟、親族、そして数知れぬ多くの人たち、事、物の関わりのご縁の中で生かされてきたことに間違いはない。またこのご縁のひとつひとつの、何ひとつでも欠けていても、今の自分はここにいることはない。

    そう思う時、私はすべてのご縁がただ事ではなかったと深く思わされてくるのです。  南無阿弥陀仏。


     

  • 2024年03月14日執筆
  • 今年は喜寿を迎える。人生百年時代とはいえ、よくここまで生きてこられたなあとしみじみと思う。もちろん体と頭は年相応に衰退してきていることは事実だが、気持ちはまだまだと強がって生きている。

    しかしながら人生最期の日は必ずやってくる。得も言われぬ恐怖心に「死にたくない」と叫びたくもなるが、ならば「あなたに永遠の命を与えよう」と言われてみても、これまた困るのである。生きることは「苦難」の連続だったことが蘇ってくるからである。

    「散ると見るのは凡夫の心 木の葉は大地に還るなり」

    詠み人しらず

    こう詠んだのは名も知れぬ一人の念仏者であろう。私たちの死に対するとらえ方とは根本的に異なっている。

    凡夫である私たちは木の葉や花びらが散りゆくのを見て、そこはかとない哀れさと寂しさを、消えゆく命をイメージするものである。しかし作者は「木の葉は大地に還るなり」と詠んだ。大地は木の葉の命を支え、育んでくれた故郷のようなものとして捉え、そこへ還るというのであろうか。なにかほっこりとして安らぎと悦びさえにじみ出てくるような世界へである。

    私たちは亡くなられると「浄土へ還られました」というのであるが、まさに大地と重なる世界がそこにはあるのだろう。

    「生死を超える世界」に生きたいと願いつつ、ただお念仏を申すばかりです。

  • 2024年02月06日執筆
  • ガウディ―の願い

    1月7日。『NHK スペシャル』 「サグラダ ファミリア ガウディ 100年の謎に迫る 2023」という番組が放映されていた。

    「サグラダ・ファミリア」とは、ガウディが建設を手掛け、今では世界遺産になっているスペインのバルセロナにある教会の建物の事である。140年経ったその建設が続けられ、2026年の完成を目指しているのだという。

    その未完成の教会を完成させるために40年以上、彫刻家として携わってこられた外尾悦郎さん。ガウディの残した設計図からサグラダ・ファミリアに組み込まれる彫刻などの装飾を総監督しているという。

    そしてガウディがこの教会を建てるにあたって、どんな思いで、どんな世界を表そうとしたのか、外尾さんは数少ない資料に小さな手掛かり求め、ガウディと対話をし続けてきたのだと言う。とりわけ世界一高い教会となる「イエスの塔」の空間の装飾は、「イエスそのものがいる空間」としてどう表現したらよいのか、大いに悩んだのだいう。

    そんな折、外尾さんの元に重要な情報がもたらされ、ガウディ―が「色の研究」に没頭していたという事が分かったのだった。色が境目なく混じり合うグラデーションの実験を、天然の石の断面の色彩を利用して行っていたという事実であった。

     

    それによって外尾さんは、「ガウディがサグラダ ファミリアで何を表現しようとしていたのか。40年探し続けてきて、やっとそれを見つけたよ」と、その喜びを語っていた。

    そして、こんなことを語っていたのだ。

    「自然には境目がないんですよね。いろんな色はあるけれど、境目はないんです。空の色も海の色も。色は無限にグラデーションがかかって変わっていく。ところが、人間の作るものは境目がある。それをガウディ―は悲しく思ったんじゃないかなと思うんですね」と。

     

    さらに外尾さんの想像は、ガウディ―の本当の願いへと導かれて行くのだった。そして、それが外尾さんの結論ともなったのだった。

    「貧富の差や、社会の分断が広がり、苦しみが続く人間の世界。人間が作るその境目を、自然のグラデーションのように乗り越える。それが、ガウディ―が「イエスの塔」に託した願いではないか」と。

     

    そして、外尾さんは「光あれ」という神の言葉によって、この世のすべてが生まれ始めたという意味を色のグラデーションで表現しようとしているのだとしたのだ。

    私はこの番組を観て、外尾さんのこの教会建設に対する情熱は、偉大なガウディ―の願いを読み解くことへのものであったが、「建築を通じて、人を幸せにしよう」という一点においてガウディ―の思いと響き合い、共になすべき使命感を成し遂げるためのものであったと思えてくる。

    外尾さんのつくりあげる「イエスの塔」の無限のグラデーションの世界は、国を超え民族を超え、宗教を超えての願いでもあるはずだ、と思えたのだった。


     

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