Communication
光受寺通信を文章でよむ
光受寺通信を「文章で読みたい」とリクエストがございましたので、
「住職のはじめの一節(序文)を」
そのまま文章でもお楽しみいただけるように追加ページを作成いたしました。
光受寺通信を「文章で読みたい」とリクエストがございましたので、
「住職のはじめの一節(序文)を」
そのまま文章でもお楽しみいただけるように追加ページを作成いたしました。
最近のテレビ番組で自給自足の生活をしている人たちを紹介していた。たった一人で生活している人も、また家族で生活している人たちも様々であった。また自給自足の生活をするに至った理由も様々であったが、皆さんとてもたくましく生きていらっしゃることに感動をした。厳しい自然と向き合いながらの生活ではあるが、生きるということがどういうことなのかが直に実感できる生活でもあるようだ。
田舎で一人暮らしの女性は、若いころ保母として働いていた経験を持つという。しかし突然耳が聞こえにくくなり、仕事に支障をきたすようになったことから、上司からは全人格を否定するような言葉を浴びせられ、仕事を辞めざるを得なくなったと話す。「ここはありのままの私のすべてをそのまま受け入れてくれる。私の人格を否定するものは何もない」というようなことを話されていた。畑を耕し、薪を割り、ささやかな自然の恵みに感謝しながら生きておられるその姿は生き生きとしていた。そしてそこにはその姿に共感された人々が集い、助け合い、慈しみ合う世界が広がっていた。
また自給自足の生活で育てられた兄弟で「高校へは行かない」。「ここで生きる」と断言した子供には少々驚かされたが、それぞれに夢を持ち、ここで生きることの意味をしっかり確かめ生きているその姿に大切なことを教えられた気がした。
私たちが思って生きている幸せは、本当に幸せな姿なのだろうかと深く考えさせられたことだ。
人生百年時代の到来。私は今年で74歳になるが、あと二十数年生きられると思うと、何の保証はないものの何となく希望が持てるような気がしてうれしくなる。全国では百歳以上が8万人を超え、しかも年々それは増加傾向にあるというのだから。
しかし私は思う、この20年をどう生きるかが大問題なのではないかと。最近、「健康寿命」が話題になっているが、残念ながら私は健康には全く自信がない。血圧は驚くほど高く、中性脂肪も悪玉コレストロールもたっぷりと体に蓄えている。これではとても長生きはできそうにない。医者へ通ってはいるが、いずれにしても私には「健康で長生き」の条件には全く当てはまらないようだ。
さて、あと何年。「どう生きるか」が私にとって最大の課題である。今までの人生では反省することも悔いることも多々あるが、住職として歩み始めてからの人生では悔いることはほとんど思い当たらないでいる。寺の活性化に取り組み、様々な試みを実践していた頃は、とても充実した人生を送っていたように思える。多くの人と出会い、同じ方向を向いて、ともに歩んできた人生での経験は、今の私を支える基盤ともなっている。
「去年今年貫く棒の如きもの」(高浜虚子)。今年もまたこんな思いで生きて行くことになるのだろうが、仏法に生かされていく人生を皆様と共に確かめ合いながら生きて行けたらと思っている。
今年一年も何人かのご門徒の皆様がお亡くなりになられました。それぞれにそれぞれの人生を全うされ、お浄土へと還られました。
さて近年では葬儀のほぼ百パーセントが葬儀会館で行われるようになってしまいました。ここ2~30年の間にはすっかり自宅葬は姿を消し、地元のコミュニティセンターを使っての葬儀もすっかりなくなってしまいました。かつては「自宅から出してやりたい」という家族の思いが、となり近所の「おたがいさま」の思いに支えられ、共に悲しみを分かち合いながら心のこもった葬儀を執りおこなってきたものでした。
しかし核家族化や高齢化が進み、経済が豊かになるとともに働き手ばかりの社会となり、お金さえあれば葬儀業者に任せたほうが、面倒なことも少なく、気づかいもないといったことが主な原因となったのでしょうか、しかもそのほとんどが家族葬、あるいは親族葬となってしまいました。
こうなってしまったことが良いとか悪とかの話ではないのですが、現代社会の人間関係の希薄さが、加速度的に浸透していくことに何とも言えない淋しさを覚えてしまうのです。
道一本挟んでの「死」にも気づかないほどの近所付き合いの希薄さに、「人生」って何だろうと考えさせられてしまうのです。「向こう三軒両隣」は遠い昔の話となってしまいました。
今年も残りわずかなってまいりましたが、どうやらコロナに始まりコロナで終わっていく一年に
なりそうです。またコロナ対策と経済対策との狭間で大変な苦労が強いられた一年でもありまし
た。否応なしにライフスタイルが見直されることとなり、日常生活が過ごしやすくなったのかどう
かは、受け止め方によってずいぶんと差も出てくることでしょう。ただ心配されるのは人と人との
関り方が今まで以上に希薄になりはしないかということです。
先日ある方がコロナ禍で職を失い、新たに職を求めるために職安を通して紹介していただいた
そうです。職場からの連絡では、オンラインでの面接を行うことになったそうです。しかし、オンラ
インには不慣れなこともあり、むりやり直接の面接をお願いしたのだそうです。
確かに企業側からすればコロナ対策と、効率化のためなのかもしれませんが、求職者側からす
れば、それで私を理解していただくのに充分なのだろうかという不安があったと言います。後日、
40 分ほどの面接があったようですが、相互に十分納得がいく話ができたと話されました。そして
二日後には見事採用の通知を受けられたそうです。
今後の私たちのライフスタイルもコロナ禍によって大きく変わってくるように思われますが、人
と人との関り方には大きな課題が残るのではないかと思われるのです。
ハリヨ
お